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2023年5月28日日曜日

最終章 石は宇宙、神奈川の海で石拾い |思い出その百十三|

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最終章|思い出その百十三|


石拾いの旅|神奈川県の海岸

2022年8月6日。
青森を超える石を探す旅。最終章。
千葉、茨城、神奈川、兵庫、愛知の海と石を探し続けてきたが、青森を超える石の海岸は見つかっていない。私はそろそろ諦めかけている。そんな海岸はないのではないか。
まず渡辺先生の「日本の石ころ標本箱」には載っていない。読む限り青森の石が一番いい。ただし、すべての石が美しいと考えていた渡辺先生の石拾いの基準、また本の企画からして網羅的に石を見せていかなくてはならないため、おそらく私の石拾いの基準とは違う方向性で石、写真のセレクトがなされている。つまり本で紹介されている石がその海岸のすべてでない可能性がある。まだ隠された趣ある石が存在するかもしれない。いや、それこそ渡辺先生が見逃すわけがない。あああ、やっぱりないのか青森を超える石。
あとは本に紹介されていない海岸をしらみつぶしに訪れるしかない。これは骨が折れる。いい石があるかどうかもわからない、むしろ石さえあるかわからないリスクを承知の上で旅に出なければならない。それはそれで刺激的ではあるが石がなかったときの絶望は計り知れない。最近そのリスクを恐れ新規の海を探せないのだ。

そんなこんなでどこにいるかというと、いつもの神奈川県にいる。行き過ぎた福井が第二の故郷だが、この神奈川もまた慣れ親しんだホームの海。東京出張の度に訪れるお気に入りの海岸だ。まずはお昼ご飯にとんかつとエビフライをいただき、石拾いのためのエネルギーを補給する。


完食して店を出る。よくばってもりもりの定食にしたらお腹がパンパンだ。最近大盛りをやめようと頑張っている。私は全く太っておらずむしろ痩せているのだが、大盛りは体に悪いことを知っている。いつも腹八分目を心がけているのだが、お店に入ってメニューを見て店員さんに注文する際に自然と大盛りと言っている。ここに私の意思はまったく介されていない。条件反射だ。気がついたら大盛りが運び込まれ食す。もちろん完食。そして次からは腹八分目の注文をしようと心にきざむのだ。



この日記で書くことはとくにない気がする。何度も来ている神奈川の海だからだ。書くことがなさ過ぎてどうでもいい私の腹八分目の話になっている。



ではなぜ日記を書くのか?
同じ海岸の石拾いでも、結果同じような石の集まりを目の当たりにしても、何か違った発見や、同じ海岸だからこそ、その時の季節、天候、精神状態、そのほか様々な要因によって拾う石の傾向が多少、微々たるものかもしれないが違いが生じるのではないか。趣深い石とは、石そのもののポテンシャルはもちろんだが観測者の心情、情景に寄るところが大きいからだ。



なので同じ海で繰り返す石拾いは修行であるし、その日記もまた修行である。そんな苦行を何を目的でやるのか理解不能と言われることがあるが、これは苦行ではない。むしろ心地いい。自ら進んで行うウェルカム態勢の修行、ルーティン化された行為は一種のゾーンに入った状態と似ていると思う。私は最近石にとりつかれた方々にしばしばお会いすることがあるが、皆石ゾーンに入ってしまっている気がする。
なぜ少しいけないことのように書くかというと、石ゾーンと石依存症は表裏一体であるからだ。では石依存症がだめかというと医学的に未知すぎておそらく誰もわからない。この世はまだ石世界の入口にすぎないのだ。書くことがなさ過ぎて何を書いているのか意味不明になってきているのでそろそろ海に到着しよう。



海についた。大きな流木が迎え入れてくれた。慣れ親しんだこの海。緑の石が無数にある海。ここは季節や潮の満ち引きに関わらずいつでも石が拾えるのでとてもいい。が故に、特別感みたいな感情はまったく生まれない。ただ私は知っている。ここの石は宇宙そのものであることを。
いよいよ怪しい日記になってまいりました。



そもそも石とは何か?地球の地層が削れて一個の塊となり丸く削られたものだ。なので地球だ。ってことは宇宙の一部だ。ちいさな惑星だ。石は宇宙だ。まったく言い過ぎた話ではない。石は宇宙そのものなのだ。生物よりももっと昔からある、最も根源的な物質だ。というか物質そのものであり全ての物質が石だ。なのでもう一度言っておく。石は宇宙だ。



ではなぜ、あえてこの海岸の石が宇宙といったのか。まず、この海岸の石はこんな感じ。一見駐車場だ。(駐車場の意味は過去日記をご覧ください)



寄りのカット。まだわかりにくい。そう。大体の海岸の石はこんな様子なのだ。よく私のインスタグラムから色とりどりの石を見ていただき、日本中にこんなに多様で美しい色彩の石ころたちが海で拾えるとは!
わ〜〜〜〜。
となっていただくのだが、これが現実だ。ほぼ全ての海岸は砂浜か駐車場だ。ザフツーの石の群れ。これも散々書いてきていることだが。
青森、福井の一部が例外なのだ。だから聖地、隠された聖地と呼んでいる。



どこが宇宙なんや。



濡れるとつやつやしてとても綺麗だ。ただしこれは一時的な水魔法。濡れマジック。



なので濡れた石は乾かしながらジップロックに詰めていく。石の群れから趣ある石を、なにやらビビビとくる石を拾っていく!

ころころころ〜〜〜。



ちょっと疲れたらちょっと海を眺める。



また拾う。ころころころ〜。



我は一体なにをやっとるんじゃい。と石拾いに対する問いが始まることがあるが無視をする。無になるのだ。石を拾う機械となれ。条件反射だ。そういう仕組みだ。ChatGPTだ。そこに意思はないが石は無限の広がりをみせていく。

ころころころ〜〜。

疲れた。石拾いは疲れたら止めることをお勧めする。



拾ったいい石を、無数の石の上にばらばらと置いてみた。
宇宙が、、、見える!気がする。



満足したので海岸で少し寝た。海の音が心地いい。



海で拾った石|神奈川県の海岸


拾った石はこんな感じ。ちょっと写真が暗いのだが調整はしない。インスタグラムでも紹介しているのでそちらでみていただくと綺麗な写真がいくつかあると思う。



なんとなく宇宙を感じないだろうか?私は感じる。
拾った者が、観測者が、そう感じてしまえばそうなるのだ。この世は見る人によってまったく変わる。観測者それぞれの世界がある。

星雲かな。

地球人にとって地球より綺麗な惑星かな。


ほぼ地球と似た惑星かな。

ブラックホールかな。


小さなブラックホールかな。バクみたい。



とても大きな惑星かな。重力凄そう。



知らない星の砂嵐かな。地球に帰れなくなりそう。



別の惑星から見た星空かな。近くに衛星がたくさん。




ワームホールかな。



色彩豊かな星雲かな。美しい。



オーロラかな。



どこかの海と山の風景かな。



小さな太陽かな。



これはなんだろう。。

石は宇宙。

おわり。

次回、私が尊敬する石の方から神奈川県で他の石スポットを教えていただいた!
初めての海。これはついに青森を超える…かも。






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石の人について

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今回の石の人のおすすめ

(2023 2/23)
飛騨高山のお土産で買った赤かぶ
調味料は塩、米ぬか、米酢、唐辛子のみだが美味しい
神奈川にて石拾いのお土産で買って美味しかったが
福島のお菓子だった神奈川関係なし

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おすすめの石の本

なんとなく気になる本

石拾いが趣味になっていた。

石を求めて旅に出た。

孤独と不思議と癒しが織りなす

石と海の思い出日記。

アーカイブページは下記より。

石と海